2012年4月22日日曜日

JFEホールディングス 相談役 數土文夫氏 変革を担う経営者に求められるものとは(前編) | GLOBIS.JP


JFEホールディングス 相談役 數土文夫氏 変革を担う経営者に求められるものとは(前編)

 

収益は固定費であると考えること、それが経営の第一歩

數土文夫氏

數土:皆さまこんばんは。數土でございます。本日は「変革を担う経営者に求められるものとは」というテーマでお話いたします。最初にお断りしておきますと、前半のスピーチでは私が今まで経営をしてきた会社については一切触れません。もしそちらについてお聞きになりたい場合は、後半対談で堀さんに引き出していただくか、質疑応答の時間に皆さま自身でお尋ねください。質問にお答えする形でお話ししていきたいと思います。

 まず「経営とは何か」についてお話します。私は経営とは継続的な価値の創造に尽きると考えています。そして収益は必要欠くべからざる固定費であると。よく売上または売値からコストを差し引いたものが収益であると言いますよね。期末に自分たちのビジネスをひと区切りして、売上からコス� ��を引いた結果が黒か赤になる。そこで「しまった」とか「しめた」とか言うわけですが、これではいけないのです。まず売上から10%なら10%、必要なROS(リターン・オン・セールス)を取ってしまい、残ったものでコストをまかなう。これが私の基本的な経営思想です。

 なぜ私がこのような思想を持つようになったのかは、今から25〜26年前、現在はドイツのエネルギー会社でCEOを務めているある友人と話をしたときに遡ります。「レバシリ」という言葉を知っている方はいらっしゃいますか? 少ないですね。レバシリというのはレバノン人とシリア人のことで、友人によると、彼らは若いときからビジネスの教育を受けているそうです。レバシリは、売上が1億円なら1000万円儲けていると考える。10億円のビジネスなら儲けは1億5000万円、100億円のビジネスなら20億円、それが出来ない人間は一人前ではないと考えるそうです。これはあくまで私の友達が言ったことです(会場笑)。

 つまり、レバシリは何らかのビジネス…たとえば医療でも、お客様が何人いて、誰を雇い、どのオフィスを借りてどれだけの仕入れを行うと計算し、結果として売上が1000万円なら少なくとも利益が100万円を確保できる目処が立たない限りビジネスをやらないのです。仮に目処がたたなくとも、そういう決意が自分自身のなかで沸々と湧いてこな い限りはビジネスをスタートさせない。「収益が固定費である」ということを最もよく理解しているのがレバシリなのです。レバシリは古代フェニキア人のことであり、彼らには3000年前からそのようなDNAが組み込まれているんですね。私はこの話を聞いてから、収益は固定費だと思うようになりました。

 一方、日本では昔から「お客様は神様です」と言いますよね。消費者は神様であり、売値はお客様が決めるものであると。これは間違いです。売値は我々が決めないといけない。そうしなければ収益を確保出来ないからです。自分たちのつくったビジネススキームや商品の売値は私たちが決める。仮に売価を100%決める能力がなくても、5〜10%、あるいは20%、少なくともそこに影響力を持たなくてはなりません。すべてお客様に 決められてしまったら、収益が固定費という図式が成り立たなくなります。しかし、売値をこちらで決めようと思ったら、必ず企業は価値を継続的に創造していかなければなりません。

 経済産業省が2007年に出したデータによると、さまざまな商品のライフサイクル年数は数年前に比べて大幅に短縮していることがわかります。商品の寿命が大変短くなっているんですね。家電ひとつとっても、2007年の時点ですでに5年前の59.9%も短くなっています。私の調べたところでは、現在はこの値よりもさらに10〜15%ほど短くなっているようです。つまり、ひと昔前なら10年使用出来た製品の寿命が2007年には6年となり、今は恐らく5年にまで縮まっている。これは、1991年からソ連が解体して市場に参入し、そこに中国やBRICsも入ってきて、皆が競争をはじめたためです。皆が同じ品物を出してきて、その結果として商品寿命が短くなってきているのです。

経営とは"継続的な"新しい価値の創造である

 現在は銀行の金融商品であれ、製造業の製品であれ、旅行会社のパックのようなものでさえ、急速にその商品寿命が短くなっています。短くなればなるほど売値はお客様に決められてしまう。こうなると収益は固定費という考え方も遥か遠いものとなります。

 だからこそ「経営とは継続的な新しい価値の創造である」ということが、いよいよ現実的に求められているのです。新しい価値の継続的な創造。「継続的である」ことが大切です。よく「自分は10年前に会社でこのような貢献をした。こういう商品やこういう技術を開発した」と言い続けている部長や取締役、あるいは社長がいますよね。私に言わせたら「ふざけるな」ということです。毎年、継続的に創造していかなければだめなのです。10年前に何をつくったなんていう話 を今でもしているのは本当に愚かなことで、そんな人が社長になったらもう…。私も社長を辞めてから随分と言いたいことが言えるようになりました(会場笑)。

 では、価値を生み出すためにどのような条件が必要なのか。この点で皆さまは現在、ハンディキャップを背負っているということをお伝えしなければなりません。

 価値を継続的に生みだすためには、一つ目にダイバーシティが不可欠になります。「多様性が重要だ」などと言っている程度ではだめで、異分子、あるいは異質なものを採り入れないといけない。二つ目に健全なる競争を可能にする環境も欠かせません。我々は競争をゲームのように当たり前のものとして受け止めなければいけない。また、三つ目に当然ながら政府のリーダーシップが大変重要にな� �ます。グローバル競争ですから、世界共通の土俵で他の国と戦いやすくなるよう、政府が企業の制約を出来るだけ解き放ち、フリーな状態で土俵にあげる環境を整備しなければいけません。従って政府のリーダーシップが立地条件の整備として重要です。

価値を生むために必要な3要素―(1)ダイバーシティ(異質との遭遇)

 一つ目のダイバーシティについてお話しましょう。たとえば皆さんの上司に「俺の言わんとしていることをいちいち説明させるのか?」などと言う人がいますよね。そんなふうに振る舞う経営者は失格です。この発言は均質性、同質性、同心円性から来ています。異質性が大事なのです。多様性にとどまらず異分子を求め、その人たちと話をすること。皆さまも現在はグロービスのような環境で異質な人々と出会っていると思いますが、これは非常に大切なことです。

 1991年まで日本の国別競争ランキングは世界1位でした。GDPも2位で、1位を窺うようなところにあって、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われていました。これは、1991年まではソ連があり、中国もオープンになっておらず、ドイツはベルリンの壁で東西に分� �られ、彼らが牽制し合っていたためです。当時はブラジルやインドも天然資源がなく、ただ広い土地を持つだけの国でした。つまり日本にとって競争相手はアメリカだけでした。そのような時代においては、同質性や同心円性が最大の強みでした。大学の運動部でも会社の事業部でも多様性よりも、先輩の言ったことをいかに効率良くやるかが求められていた時代でした。 


なぜ治療の下で、中国の森林があります

 ところが1991年以降、日本の競争力は一気に低下していきます。1991年以降BRICsが台頭し、中国は改革開放路線を進むようになりました。ケ小平は「白い猫でも黒い猫でも鼠を捕まえる猫は良い猫だ」と言いましたよね。金持ちになることが出来る人間から金持ちになっていこう、ということです。競争社会を公然と認め、個人の意欲をかき立てていった。そのなかでさまざまな人が競争の土俵に乗っていきました。しかし日本はまだ日本とアメリカだけの競争だと信じて、同質性、均質性、あるいは同心円性を維持していた。国民の多くがそれだけを考えていたから、取り残されていったのです。現在急成長している中国は、51〜52の民族が一緒にやっ ていますよね。これは非常にしんどいことですが、ダイバーシティがあるわけです。

 現在の日本は異質文化との交流や融合ができていません。海外留学生の帰国後の優先採用、外国人社員活用の推進、高齢者雇用、女性の採用や登用…、これらは大きく進んでいませんよね。女性は男性社会から見れば異質なわけです。もちろん女性から見れば男性が異性ですから、女性だけで固まっていてもダメですが。こういった交流や融合が大切になってきているのに、経営者、政治家、教育者、官僚がその思想に乗り遅れてしまっている。体質的に乗り遅れてしまっていたのだと思います。

 他方、海外を見渡していくとさまざまな成功事例を確認出来ます。たとえば、ベルギー、フィンランド、スウェーデン、あるいはノルウェーな� �。ノルウェーやスウェーデンは、10年前には税金が高いだけの国で皆が逃げ出していました。しかし現在は皆が帰ってきています。国家としての競争力が大変高まっていますし、税金は高いけれども社会保障政策などが非常に充実してきているからです。もちろん企業にも競争力があり、法人税は低くなっています。

 そういう国々では女性の役員比率も高いですよね。2010年の上場企業の女性役員比率は、ノルウェーは40.3%、スウェーデンは21.9%。一方の日本は1.4%ですよ。統計的に見たら限りなくゼロに近い数字ですよね。今日は女性の方も何人か会場にいらしていますが「これは許せない」と声を挙げていかなければいけません。女性の進出は競争力の根源にもなっています。女性向けの商品であれば女性の志向を知らなければ いけないのに、商品開発やビジネススキームづくりに女性が参画出来ていない。そんな状態で日本が勝てるはずがありません。こういうことを我々は真剣に考えなければいけない。本会場にお集まりの皆さまは経営者、あるいは指導的立場に立つ覚悟ができていると思います。ですからなおさら、こういったことを含めて「何をやっていけばよいのか」を真剣に考えていただきたいと思います。

 私が何をお伝えしたいかというと、日本は現在、大変な劣位環境にあるということです。そのなかで皆さんには、これから経営者として世界へ羽ばたいていこうというときに大変な覚悟が必要になるということです。もちろん、そういった現状の劣位環境について私と一緒にここで「けしからん」と言っているだけではなんの足しにもなり ません。

価値を生むために必要な3要素―(2)健全な競争を可能にする環境

 価値を創造するための2つめの要素である、健全な競争社会を可能にするものは何か。一つ目には、すべてのメンバーが異質・異分子・異端・異性に対して敬意を表しながらともに仕事をしていくことのできる社会です。敬意を表する。資料には「遭遇」と書いていますが、ただ会っただけでは不十分です。敬意を表しながら「あなたの言うことを聞きます。あなたの言うことを採り入れます」というマインドをつくっていかなければなりません。

 二つ目に、健全な競争社会には教養と倫理観が不可欠となります。まだ若い皆さまはにとっては非常にまどろっこしいと感じるかもしれませんが。では教養と倫理観はどのように身につけていけばよいのか。私は歴史や文学、あるいは古典が不可欠になると考えています。最初は難しくて なかなか理解できないかもしれませんが、それで結構です。それでもともかく古典を読んでみてください。今はトップ同士の話で物事を決めていくような時代ですから、人間学が不可欠になります。ビジネスも同様、人間学が基礎になっていないビジネスはあり得ません。

 そして、健全な競争社会を構成する三つ目の要素は熾烈な競争です。競争は熾烈なんですよ。その熾烈さをゲーム感覚で戦っていかなければいけない。人生、深刻ぶっていても意味はありません。競争は健全なものであると、皆さんに理解していただきたいのが私の思いです。

 日本には「日本は貿易に偏り過ぎている。内需を拡大しないとダメだ」などとおかしなことを言っている人がいますよね。しかし日本の輸出依存度は、韓国、ドイツ、中国、さ� �には英国よりも低いんですよ。韓国はGDPに占める輸出入の割合がトータルで90%近い数字ですが、日本は30%弱。こんな状態にも関わらず「日本は少し貿易に偏り過ぎている」と言うのですから、彼らは本当に状況を知らないと感じます。

 輸出については、日本のGDPに占める比率は過去30〜40年間、15%前後という状況が続いており、変動してもプラスマイナス2%ぐらいでした。輸入はその比率に比べて最大でおよそ1.5%マイナス、最小で0.5%マイナスという水準です。今回の東日本大震災で少し変わるかもしれませんが、これまではその水準が続いていました。日本はその1%前後という輸出入の差によって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言っていた。外貨を貯めて、豊かになっていたためです。その関連で内需も生まれてい� �にもかかわらず、貿易額を減らして内需を拡大しようと言う人がいます。

 これは冒頭でお話ししたこととも関連しますが、経営の根本は「新しい価値の継続的な創造」です。現在の日本には大量に実用化できている天然資源がなく、我々にあるのは労働力、知力、気力、そして体力だけです。そういった人的リソースを使って外国から輸入を行い、そこに付加価値をつけて外国に輸出していた。これまではそれで健全にやってきたわけですし、その結果が先ほどご紹介した数字にも表れていた。この構図自体は30〜40年変わっていません。つまり日本人は知恵を出すしかない。今までそれをやってきたんです。ところが今は経営の本質が価値の創造であることには触れず「内需でやっていこう」と。何を言っているのかと思いますね� ��時々口が悪くなってしまいますが(会場笑)、真実をアピールしようと思うと自然にそのようになってしまうというだけで他意はございません(笑)。

 輸出入についてもう少しお話をさせてください。「日本の輸出は自動車に頼っていますから」と言う方がおられますが、過去6年間の日本の輸出内訳を見ると50%が資本財です。その他、20%が工業用原料、10〜15%が耐久消費財。耐久消費財の代表が自動車と家電です。このデータを見る限り、自動車が日本の輸出における中枢を占めているとは読み取れません。

 ではここでいう資本財とは何か。外国の企業は自社の活動を継続していくため、つまり彼らにとっての新しい価値を創造していくために、日本から必要不可欠な資材を買っているのです。それは建機やジャンボジ ェットの部材など、これらの30数%が日本からの輸出です。小さなモーターから巨大な船舶のエンジンまで、日本から買わないとやっていけないわけです。韓国などは輸出を増やそうとすればするほど日本の高級な資本財を買わなければいけなくなる。だから対日貿易が赤になるんです。これは日本とすれば健全でかつ誇るべきことですよね。それを知らずに耐久消費財あるいは自動車が貿易の中枢であると言うのは正しくありません。日本の輸出全体から見ると耐久消費財はニッチな領域である、という点は絶対に踏まえておかなければいけません。日本の競争力の原点が何なのかを知る必要があるということです。


ドールをオフに署名する方法

 続いて、日本にとって大きなハンディキャップとなっている部分についてお話ししていきましょう。日本はFTAやEPA(TPP)といった自由貿易協定の分野でまったく立ち遅れています。日本が自国の自動車をヨーロッパへ売ろうとすると、日本は6%の輸入関税をかけられます。100万円の自動車を売ろうと思ったら106万円で売るしかないという意味ですね。一方で韓国はFTA・EPAを締結していますから、100万円の品物はそのまま100万円で売ることが出来る。106万円で売っても100万円で売ってもコストが同じであれば、日本はもう商売あがったり、というわけです。このようなハンディキャップが日本にはあって、どうもならない状況になっているのです。

 国内でよく出� ��くる出生率の低下という議論についても併せて考えていきましょう。よく「現在の日本は少子高齢化が進んでいるから元気がなくなっているんだ」という話が出てきます。それで「GDPがマイナスになっていくのも仕方がない」という言い訳が出てきます。しかし東アジアで力強く成長している地域の出生率を見ると、中国は日本よりも高い出生率ですが、その他の成長地域はすべて日本を下回っています。中国も急激に出生率は低下しています。台湾の出生率は1.00ですが、2008年から2010年にかけてのGDP成長率は8.7%。出生率1.06の香港が同4.0%、出生率1.15の韓国は同6.3%で、シンガポールに至っては1.27の出生率で同13.6%という成長率を実現しています。

 日本の出生率はこれらの国々に比べて大変高い1.39なのに同GDP成長率はマイナ� �2.64%。結局のところ、少子高齢化は言い訳なんですよ。グローバル競争で言い訳は通用しません。しかしながら多くの人々が、「少子高齢化が進んでいるから日本は元気にならない」と言っているのです。なんと愚かなことかと思います。

 重要なのは、冒頭で述べた通り知恵の勝負であるということです。継続的な価値の創造こそ鍵であると、我々は勇気を振り絞って当たり前のことを再確認すべきなのです。価値の創造に向けて自らを鼓舞していかなければいけないのに、それができていない。台湾やシンガポール、韓国は、それをきちんとやっています。我々だけが言い訳を続けているのではないかと私は危惧しています。

 健全な競争という観点から、農業についても触れたいと思います。まず、日本の農業生産をすべ て合計しても売上高8兆4000億円しかなりません。そこに4兆6000億円を超える国家予算を投入しています。さらにこの数字には戸別保障の7000億円が入っていません。戸別所得補償を加えると5兆3000億円の国家予算をつぎ込んでいることになります。当然、その予算は国民から出ています。農家の方はほとんど税金を納めていない。そもそも8兆4000億円の生産高に対して補助が5兆3000億円なんていうビジネスが成り立つはずはないですよね。

 日本はこの4兆6000億〜5兆3000億円という国家予算のおよそ5%に相当する金額を、500兆円強の実質GDPに対する1.6%に過ぎない産業に投資しているのです。リターンは何もありません。こんなことを我々は許しているんですよ。経団連としても「戸別補償はダメだ」と言っていますが、もっともっと言わ� �ければいけない。

 ちなみに現在、日本で農業に携わっている方々の平均就業年齢は66歳です。66歳というのは過去のデータですから、今はさらに高くなって67〜68歳になっているでしょう。その人たちの収入は本当に少ないんです。細かいことは言いませんが、その人たちは政治家が言うものだから戸別補償をもらい続けている。しかし東日本大震災でいよいよわかったことは、東北地方にとって農業や漁業は非常に重要であるものの、沿岸部でさえ、岩手・宮城・福島3県の総生産に占める割合が10%少々しかないということです。さらに重要なのが、東北地方では新しい価値の創造を実現していくような資本財を提供する中小企業が大変な貢献していたという点です。世界のさまざまな産業で生産活動がストップするほどの大きな影 響力を彼らが持っていたことが、大震災を通してはじめてわかったわけです。

 それでも戸別補償を受け続け、なおかつFTA・EPA・TPPに反対している方々がいる。私は富山出身で今年70歳になりますが、富山に行って皆に話をするんですよ。「なんということをやっているんだ」と。農家は皆、戸別補償を受けながら自由貿易に反対しています。しかし40〜50歳になる彼らの子どもたちは、皆、富山県でYKKやスギノマシンといった企業に務めているんですよね。ところが法人税などが高いために企業が皆、外へ出てしまうんです。どういうことかと言うと、おじいちゃんやおばあちゃんはよいことだと思ってFTAやTPPに反対しているわけですが、それでは自分の息子は会社がなくなって失業してしまう。それで「もうダメだ。自分はガーデニ ングみたいな農業もやっとれない」と言うんです。「ガーデニングでしょう」と。どこが違うのか(会場笑)。そういうことを我々が言わないから彼らもわからないのです。

 あろうことか、今度は彼らの孫世代が大学を卒業しても就職先がないということになっている。彼らの就職率は50〜60%です。結果として、すべて農業に戸別補償をしていくのがよいと言うわけです。FTAにもTPPにも反対と言っていますが、誰だって家族で幸せになろうと思っているわけですよね。でも孫の就職先はなくなってしまっている。もういい加減にして欲しいと思いますね。

価値を生むために必要な3要素―(3) 政府のリーダーシップ

 さて、次は政府のリーダーシップについてお話ししましょう。現在、スイスの国際経営開発研究所(以下、IMD)や世界経済フォーラムといったいくつかの機関が国別競争力ランキングというものを出していますよね。IMDのランキングによると、日本は1991年時点で1位でしたが、2011年現在、総合26位まで落ちています。2011年の部門別ランキングでは、経済状況は27位、ビジネス効率性は27位、インフラが11位です。ところが同年における政府の競争力はどうでしょうか。これは政府が自国の企業などに競争力を付加する力、あるいはその努力に対する評価ということですね。なんと59カ国中、50位です。

 私は不平を言おうとしているのではありません。ただ皆さんはこれから、そのような環境のなかで戦っていくという点を企業経営者とし て覚悟する必要があるということです。これは政府に打開してもらわなければいけません。先ほどお話しした戸別補償やFTA、TPPも同様ですが、とにかく政府の競争力が50位というのは、我々にとって大変なハンディキャップになっているといえます。

 ここで改めて私が導入を主張したいのが、納税や年金に関する共通番号制です。皆さんはご存知ないかもしれません。サラリーマンは共通番号制になっても大丈夫ですから。しかしこの番号制がないために、自由業の方などに税を収めてもらうための手間賃が日本ほどかかっている国はありません。欧米はどこでも導入していることですが、この政策でさえ日本では1年から1年半、先送りになっている状態です。

 税制に関して続けますと、法人税はご存じの通り、日本は40.69%� �世界トップの実行税率です。この場合、経常利益が100億円あったらどうなるでしょうか。先ほど「収益は固定費」と申しましたが、1000億円の売上で10%の経常利益率、つまり100億円を稼いだとしても日本では税金を払ったら60億円しか残らないということです。世界114カ国の平均税率では、75億円を儲けることが出来ます。15%以上のギャップがあるのです。15%分の収入があれば、企業はそのうちたとえば半分の7.5%を新しい価値創造に向けた研究開発や人材育成に投じ、残りの7.5%を従業員のモラルアップや士気の鼓舞に向けた待遇改善に投じることもできます。

 日本では税率が高いためにそれらが出来なくなっている。1991年頃から研究開発や人材育成に投資できなくなってしまったから、日本の競争力はその後低下しているの� �す。こういうハンディキャップのなかで皆さんは経営者としてグローバル競争を戦っていかなければならない。「私は経営者になりたい」というのは結構ですが、日本はこうした環境で根本的にハンディキャップがある点をよく理解していただきたいと思います。


シカゴの青47のレストランはどこですか?

 消費税についても言及しましょう。欧州では15%以上の消費税率としなければEUに加盟出来ません。ギリシアも同じです。OECDの対日審査報告書を見てみると、お節介だと思われるかもしれませんが、「日本は消費税率を15〜17%に上げるべきだ」と書かれています。IMFも「最低でも15%まであげるべきだ」と言っていますね。

 どうしてこれほどお節介なのかと感じかもしれませんが、そもそもお節介などではありません。彼らは2015年〜2016年に日本が財政破綻で潰れてしまうだろうと思っているのです。潰れたら世界中が困ります。ギリシアと同じことになってしまう。心配で仕方がないから言っているわけです。このことを日本の政治家は理� ��していないのです。つまり、皆さんは他国から「危険だ」と見られている環境において、経営者としてやっていこうとしているのです。ですから「本当にその決意がありますか?」ということを私はお聞きしたい。お節介かもしれませんが。

今後の厳しい環境下では、"How to do"ではなく"By whom"

 ここからは「変革を担う経営者に求められるもの」として、私の思いをお伝えします。これからの時代は企業経営がトップの人材で決まると私は考えています。90年までは均質性や同質性が求められていましたから、経営者に重要なのは"How to do"でした。テーマは決まっていたのであとは"How"だけ考えていればよかったということです。そんな時代は終わり、その後2010年までは"What to do"、何をするのかが経営者にとって重要でした。選択の時代になったんですね。

 しかし今後は、「誰に」それを委ねるのかが大切になってきます。一体誰がリードするのか。"By whom"であり、その対象は皆さんになるということです。極端な話をしますと、日本企業で10年後、トップが日本人の会社はいくつ残っているのだろうかということです。すでに日産やソニーでは外国人経営者が生まれています。競争力を高めるために異質なものを受け入れざるを得ない時代になっているのです。これは非常に重要な変化だと思っています。

「今後は"By whom"」と言いましたが、同時に"How to do"や"What to do"も自ら実践しなければいけません。個別ではなく、"What to do"も"How to do"も共にできなければダメだということです。 "What to do""How to do"、そして"By whom"。皆さまもそういうことをやろうとして集まっておられるわけですよね。

競争とセーフティ・ネットは両立できる

 ここで独立自尊の精神と健全な競争社会について改めて考えてみたいと思います。まずは独立自尊の精神を有していた先達を何人かご紹介します。2500年前の孔子の言葉は『論語』にまとめられました。新渡戸稲造は1900年にフィラデルフィアで『武士道』という、日本語でもなかなか説明出来なかったものを英語で出版しました。当時、アメリカのルーズベルト大統領はこの著作を読み、日本贔屓になったと言われています。『武士道』については李登輝・元台湾総督も自著『武士道解題』で触れています。シンガポール政治家のリー・クアンユーも同様に独立自尊の精神を有していました。こういった先達は若い頃に両親との死別や敗戦、あるいは日本による占領といった大きな逆境のなかで育っています。新渡戸稲造もアメリカ留学� �は凍え死にそうな寒さのなかで皿洗いをしながら、すさまじい貧乏と戦っていました。李登輝もリー・クアンユーも若い頃に辛酸を舐めている。そのときに忘れなかったのが独立自尊の精神であり、プライドであり、倫理観でした。苦しくても教養や倫理観を高めていたのです。

 日本もこれから正しい競争力をつけていくために、社会を健全な競争状態に戻す必要があります。大変遺憾なことですが、日本の大学生などは、平等や平和ばかり口にして、競争自体を悪いもののように捉えています。とんでもないことです。健全な競争社会こそ必要であり、その健全な競争社会は先ほど申しあげた3 つの条件のうえに成り立っていくものなのです。

 競争とセーフティ・ネットは別物です。ハンディキャップを持っている人にはセーフティ・ネットを用意する必要があります。しかしセーフティ・ネットをつくることは競争社会でなくすことではありません。その考えを実践しているのがノルウェーであり、スウェーデンです。彼らはこの10〜15年で、そういったバランスの上に見事な政策転換を実現した。健全な競争社会をつくるうえで、競争とセーフティ・ネットは両立出来るということです。競争自体を悪いと考えている人はもう経営者や指導者にならないで欲しいと思います。

リーダーの必須条件、胆力、複数の専門能力、将来予測能力、課題解決能力

 ここで継続的に価値を生み出すことの出来る人材についてさらに考えてみましょう。まずは胆力を鍛えないといけない。リーダーとして胆力を鍛えるためには、とにかく会議などで質問することです。国際会議でも、他社との会議でも、自社事業部の会議でも、家内会議でも。学生時代にも会議は当然ありましたよね。そのときに質問しなければいけない。質問さえできないのにリーダーになろうなんていう考えは通用しません。「リーダーになってからきちんとやるんだ」と言っても無理です。質問は胆力を高めるため、あるいは新しい価値を継続的に創造していくために不可欠なものです。

 質問するためには3つの厳然たる条件が必要になります。一つ目は常日頃から社内、ひいては自分の所属する部や課で話題になりそうなこと をあらかじめ勉強しておき、その問題について素養としてのインテリジェンスを蓄積しておくこと。そうしないと適切な質問は出来ません。ただし質問に対するうんちくや情報、あるいは見識があればよいのかと言うと、それだけではいけません。二つ目に皆を説得出来るアカウンタビリティ、あるいはプレゼンテーション能力が不可欠になります。皆にきちんと理解してもらえるような説明能力のことですね。しかし説明能力だけでもまだ足りない。3つ目には、勇気を持って質問する胆力。たとえば部長や取締役と違う意見のときに「自分のほうが正しい」と思っていても、黙っていたら意味がありません。そのときに勇気を持って質問をするには胆力が必要です。

「自分だって部長になれば質問ぐらいできる」と言う人はいます� �、ゴルフだって一所懸命練習してもなかなかうまくいきません。「グリーンに行けばうまく出来る」と言ったってうまくいく筈がない(会場笑)。質問も同じです。部長になればすぐに出来るわけはないんです。日本人にはこの胆力が足りないのです。もちろん説明能力も十分ではありません。覇気(胆力・決断力)、(複数の)専門能力、将来展望・予測能力、そして課題解決能力の順で重要になると私は考えますが、日本人にはこれらが欠けています。

 胆力に次ぐものとしては、専門能力が必要です。インテリジェンスは生半可な努力で得られるものではないのです。今回お集まりの方々は20〜30代の方々が中心かとは思いますが、30代の後半ぐらいまでに自分のスペシャリティを磨き上げないといけないと思います。専門能力� �持たずに「自分はゼネラリストだ」と言っている人を見かけますが、それはつまりなんの能力もないということを言っているだけです。役員になっても「自分はゼネラリストだから」という人はいますが、これではいけません。

 専門能力の次に必要となるのが将来展望能力、あるいは予測能力です。今後10年のうちにどうなっていくのか。日本はどれほど厳しくなっていくのか。反対に「日本にはこういうよいところがあり、我が社にはこういうよいところがあるから10年後にこんな環境に置かれている」など予測する能力が大切です。そして最後に課題解決能力。結局は"How to do"もわからないとダメですね。


 ただし、専門能力に関しては注意すべきことがあります。20〜30年前は日本人の平均寿命が70歳でした。しかし現在は80歳で、皆さんの時代は間違いなく90歳になります。皆さんは現在、少々お金を持っているかもしれませんが、65歳でリタイアしたあとはいかがでしょうか。IMFが心配しているような国家財政のなかで、年金や自分の蓄えが本当に頼りとなるのかどうか。本当に頼りになるのは自分の能力だけだです。昔は60歳で定年でしたから、50歳になったらもう勉強するのを止めていました。しかし今は定年が65歳で、皆さんの時代は平均寿命が90歳まで伸びるわけですから75歳ぐらいまでは働かないとダメではないかと思います。だからこそスペシャリティが必要になるわけです。専門能力 は一つでは足りません。30代の後半までに一つ目のスペシャリティ、40代で二つ目、そして50代で三つ目のスペシャリティを手にする。それぐらいでやっていかなければリーダーは務まりませんし、個人の生活も危ういものになると私は考えています。リーダーは複数のスペシャリティを持たなければ、将来を正確に予測することもできません。一つのスペシャリティだけでは、経営者としてやっていけないのです。

 幸いなことに現在は書籍やインターネット上の情報を得ることができますから、その気になれば3年も勉強すればスペシャリティを身につけることはできます。5年、ましてや10年あれば必ず得ることができるでしょう。とにかくきちんと勉強することです。皆さんも自分の胸に手を当てて考えてみてください。大学時代� �勉強もしていないのに「自分は某屋だ」と言っている人はたくさんいましたよね。「よう言うわ」と(会場笑)。しかしこれからも10〜20年あるわけですから、きちんと勉強すればいくらでもスペシャリティを手に入れることはできると思います。

 ちなみに私はヒュンダイ(現代)、サムスン、あるいはPOSCOに20代の頃から友達がたくさんいて、彼らに聞いてみて本当に驚きました。こうした韓国大企業に入社するためには3つの条件があるというのです。TOEIC900点、留学経験有り、ボランティア経験有りの三つ。この条件に達しない人は入社試験の資格さえ与えられないそうです。ここまでいくと個人的には少し問題ではあるかなと思いますが、TOEICにしても900点以上が合格ラインなのです。

 日本企業ならTOEIC850点でも自慢出来� ��すが、韓国では「ふざけるな」ということです。半年以上の外国留学経験も必要なんですね。また、軍隊以外でボランティアの経験があるか否かも求められ、証明書が必要になります。こういった条件設定自体には問題もあるかもしれませんが、少なくとも一所懸命勉強しようという気持ちになりますよね。会社はそういう人材を求めている。皆さんにこの3つをすべてやれと言っているわけではありませんが、海外の競合はこのような体制で育成しているということです。

下に嫌われたくないのならリーダーにはなってはいけない

 それともうひとつ。日本人はよく「情報が大事だ」と言いますよね。しかし情報という言葉は英語でインフォメーションとインテリジェンスの二つに訳すことが出来ます。この二つには天と地ほどの違いがある。インフォメーションとは発するほうがお金を払ってでも受け手に知ってもらいたいというものです。デパートに行けば「いらっしゃいませ。2階は紳士服売場です」といった情報が流れますよね。これはインフォメーションです。基本的に、インターネットにある情報はすべてインフォメーションです。発するほうがお金を払ってでも聞いてもらいたい情報。そういった情報に1日中接して「自分は情報屋だ。賢くなった」と言う人がいますが、「何を言っているんだ」と。インテリジェンスとは皆さんが今ここにいるように、� �銭を切って、あるいは会社で認められて対価を払ってもらいながら、血と汗とエネルギーと時間をかけて取りにいくものです。その積み重ねがスペシャリティになり、教養になり、倫理になるのです。

 ですから情報通だと言ってインフォメーションだけを手に入れるのではなく、それらを集めて解析すること。そこでたとえば「どういう傾向か」と、自分で手間暇をかけて分析することで、インフォメーションをある種のインテリジェンスに変えることができます。これは非常に重要な考え方だと思います。リーダーとなったときに自分を助け、かつその組織を助けるのはインテリジェンスしかないのです。インテリジェンスこそが継続的な新しい価値を創造する。ですから私は「30代で一つの分野におけるスペシャリストになり、40� �でさらに他分野のスペシャリストになり、その後さらに分野を増やしていきましょう」といつも言っています。そのうえで70〜75歳まで働くことが出来る人材になるべきではないかと考えています。

 ここでリーダーに求められることをさらに考えていくと、やはり志も不可欠になるでしょう。論語でも「吾十有五にして学に志す」とありますが、李登輝やリー・クアンユーも同じでした。偉大な先達は共通しているんです。志を持つということは20〜30代のうちにしか出来ません。70歳になってから「自分は志を持ったぞ」と言ってもなんの役にも立ちませんから。60代でも遅いですよね。

 さらに言えば「リーダーになったら下に嫌われないでおこう」と考える人間はよくいますが、下に嫌われたくないのならリーダーにはなっ� ��はいけない。経営者になるべきでもありません。「自分は理解のある優しい上司だと思われたい」と下によく思われようとしてリーダーになる人間がいるんですが、そんな人はやめたほうがいいです。私はそう考えています。部長になった人間が就任時に部下を集めて、「私はあなた達の言うことを信用している」「一緒に研鑽しましょう。私は皆の生活を保障していかなければいけない」などと言うわけです。何ということを言うのか。「リーダーは必要であればときには「お前はダメだ」と厳しく言わなければいけない。そう話して嫌われたくないのなら、リーダーにはなってはいけないのです。そういう決心をしておかなければいけないと思います。

 もうひとつ。会社では人材教育をよくやりますね。しかしよく考えると、� ��こ40〜50年当たり前のように言われてきた「人材教育」というのもおかしな言葉だと私は思います。古代のギリシアでも中国でも、トップが人材教育を行ったことはありません。三国志の曹操や劉備玄徳、あるいはアレキサンダーがいつ人材教育をしたというのか。もちろんトレーニングはやりますが。会社でも人材教育という言葉を使いますが、正確に言えば間違いです。人材とはピックアップするしかないんです。劉備玄徳は三顧の礼を尽くして孔明をピックアップしました。そんなふうにして誰かがピックアップされたら「私もピックアップされたい」という人間が出てきて、そこに健全な競争が生まれるのです。人事部が人材教育と言って、それで本当に人材の教育が出来たと思ったら大変です。トレーニングという意味ならよい� ��ですが、人材の教育にはなっていないんですね。

 最後に、トップにはもちろん発信力が不可欠になりますが、これまでお話ししてきた通り、発信力を高めようと思ったら受信力を高めなければいけません。先ほども「プレゼンテーション能力あるいはアカウンタビリティをつけようと思ったら自分で勉強しなければいけない」と言いましたよね。つまり受信力こそ発信力のベースになる訳です。

 さて、ではこのあたりで私のスピーチは一旦区切りにしたいと思います。ご清聴誠にありがとうございました(会場拍手)。

※堀義人(グロービス経営大学院学長)との対談、質疑応答の後編はこちらへ。

プロフィール

數土 文夫 
Fumio Sudo
JFEホールディングス 相談役


1964年 3月北海道大学工学部冶金工学科卒業
1964年 4月川崎製鉄株式会社入社
1992年 4月水島製鉄所企画部長
1994年 6月取締役 千葉製鉄所副所長
1996年 7月取締役 鉄鋼企画部長
1997年 6月常務取締役 鉄鋼企画部長
2000年 6月代表取締役副社長
2001年 6月代表取締役社長
2002年 9月代表取締役社長
      JFEホールディングス株式会社 取締役(非常勤)
2003年 4月JFEスチール株式会社 代表取締役社長(CEO)
      JFEホールディングス株式会社 取締役(非常勤)
2005年 4月JFEホールディングス株式会社 代表取締役社長(CEO)
2010年 4月取締役
2010年 6月相談役
日本放送協会 経営委員長(2011年〜)



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